ラッシュ 02

 おまえ何よ。僕が訊く前に、それは挨拶に来た。僕は出陣前のメンバー楽屋で、缶ビールの飲み口から舌を入れて冷たい泡の苦みを嘗めていた。(僕はまじめなので本番前のアルコールは嘗めておくだけだ)
 新條さん。今日、ヨロシクオネガイシマス。おう。エージでいいわ。僕は、いつもどおりに答えて、誰だっけと相手の顔をよく見た。僕は、呆れるくらいに他人の顔を憶えられない。なのに、猶斗のバックバンドでは僕がバンマスのように扱われている。猶斗とのつきあいがいちばん長いからだ。猶斗は、バンドが潰れてソロになってから、もう十年間ほど歌っている。その間に、大勢のミュージシャンがごろごろと参入しては消えた。
 そういえば、この新しいギタリストには先週のスタジオリハで紹介されて会った。前のギタリストが死んじまったからだ。僕は、そういうことをすぐ忘れる。ステージで太鼓が鳴ってさえいりゃいい。
「ゴメンな。僕ジジーでぼけてんだ」
 僕はまじめに謝って、
「きみ先週からいたッけか?」
 そんなことを訊いた。はい、と彼は答えた。
「エーさん言うことキツイよう」
 と、僕の隣の化粧台でスプレーを使ってオレンジの長髪を流しているベーシストの葦宏が冷やかした。「なァ尚チャン、こうゆー人よ、ここんちのバンマス」化粧した唇をゆがめてギタリストに注進した。僕はそれでギタリストの名前を思いだす。
「ちげえよ葦宏、アホ。僕な、マジでやばいんだわ脳味噌のシワが。すまんのポン」
 僕は関西芸人のようにおどける。身づくろいに三時間かけるお化粧野郎。腕のほうも磨いてちょーよ。僕は、そんな科白は言わない。この平和愛好者の何がキツイんだい。
「先週、デカい音で弾かなかったろ。だから憶えてねえや」
「すみません」
 礼儀正しい奴だった。愛想はなかった。
「な、座んな」
 僕が言ったら、椅子ではなく僕の足元の床にひょいと膝を曲げてしゃがんだ。変な、小僧くさいところがあるなと僕は思った。歳いくつだ、と訊いた。二十七と答えた。
「なんだもうガキでもねえじゃねえか」
 僕が言うと、「そうだなあ」と小さくひとりごちて笑った。笑うと犬みたいに人懐こい顔だった。
 猶斗は三十三、僕は三十五だ。だから、うちらのバンドのなかじゃ若いほうだ。
「前のギターの人、長かったんですか」
「んにゃァ」
 三ヶ月いたかな。僕はそう答えた。
「すぐ死んだよ」
「死んだ」
 ギタリストが口のなかで繰り返した。
「ン。よく死ぬよココの人」
「やめてよエーさん」
 横で葦宏が薄ら笑いした。葦宏が立ってトイレに行く。覚醒剤の補給だ。葦宏の血管にはメタンフェタミンが充満している。あいつモノホンのオカマだから気ィつけな。ニギられんぞ。僕は、新入りに耳打ちする。
「あァ……」
 つきあいのように呟いて、ギタリストは僕の眼をじっと見ていた。
「なんで死んだんですか」
「自殺」
 僕は、缶ビールの中に舌を入れる。さっきよりぬるまって不味かった。
「ホテルの部屋の窓から飛んだのよ」
「あァ……」
 そういうことはよくある。そんな感じに頷いて、彼はセルロイドの黒いピックを唇に挟んだ。犬歯のあたりで噛んだ。
「高岡クンきみな、うるさく弾きすぎ」
 僕は別のことを言った。
「猶斗に嫌われるよ」
 するとギタリストは三角形のピックを噛んだまま、僕を見た。真顔だった。エージさんもですよ。そう言って立ちあがった。(続く)
※初出 2001年12月「文学メルマ!」

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