「イズミ幻戦記」 断章prototype

「誰が殉教者だって?」
 隊長室のデスクに肘をついた師英介の問いかけは、棘よりもさらに鋭角的な、直截の刃をあらわにしている。
 おかしなことに……いつでも必要量に対して二百パーセント以上の雑多な資料で周囲を埋めていなければいられない性癖の師英介の、そのデスクに現在はファイルの一冊どころか塵ひとつ乗っていない。
 一秒後にでもこの駐留地を引き払うことのできる、そんな態勢だ。
「撤退か」
 師の言葉には答えずに如月は、己の目にうつる状況から導かれた結論を口にする。
「ケツまくりあげて敗走と、もう少し惨めに表現してくれてもいいんだがね士郎! 怪我人にはきつい負担になるが悠長には座っていられない、こちとら他にも抱えてる人命が多すぎるものでね、今夜中には逃げだす算段だ。しかしそれで果たしてどこに隠れられるものかは実際、目先真っ暗な話ではあるのさ」
 饒舌にならざるをえない師の気分は、如月にも推測できないわけではない。師からつねづね人の心に疎いと責められる立場で、どの程度の真実をつかんでいるか如月自身、確証など持てはしないのだが。
「その手の惨めさは、師隊長の叡智ある決断には不似合いだな」
「ご信頼はありがたいことだ。いやまったく」
「殉教者呼ばわりは、風間の趣味だろう。別に俺が言ったものじゃない」
「冷静だな」
「そうか?」
 如月はかすかに肩をすくめる。
「俺は元からこういう人間だと思っていたが」
「……ああ」
 疲労した視界に邪魔な眼鏡を抜きさり、デスクを挟んで自分の前に立つ如月の姿から、かたちにならない苛立ちとともに師は双眸を外す。そして、言い捨てた。
「そいつは最悪な話だな」
「……飛躍してないか、その判断は?」
「おまえが昔の症状に戻っちまってるってことさ、能天気なペシミストにリセットされちまってるってことさ。いや、そんなものは俺の個人的慚愧の念ってやつだ、おまえに感想なんか要求するデリカシーは俺にはないんでね。穴にもぐる準備に大忙しの隊長さんとしては実務的なお話をする。士郎、おまえはしばらくうちに雇われて用心棒のお仕事だ、金の払いは悪くない、なにしろ危険度の高さが普通じゃないんでね。どうだ?」
「断わる」
 現状に可能なかぎりの優しさをともなわせて――如月は年下の親友にそう告げた。
「お得意様の依頼を振るのは本意ではないんだが、今は乗れないな。俺も、これからしばらく忙しい」
「…………」
 煤けた眼鏡をつかんだ指を止めて師英介は、数瞬、適切な応答を見失ったように沈黙した。
 よく観察すれば軽量硬質レンズの左側にはかなりめだつ傷が走っていた。頭脳労働に徹するべき組織指導者が自分の眼鏡にまで傷をつけている事実は、戦闘状況における余裕のなさとイコールで結びつく。望ましくないことだ。
 衝撃の余波か。
(超能力者)
 あの少年を――消し去った。
「ずいぶんな傷だ」
 ふと、師英介は独白として呟く。ずっと疑似角膜を装着せず旧式な眼鏡を愛用してきているのは、趣味と、意地と、実用との、どこにもっとも比重をおいたうえの判断であったのか……我ながらなぜだか思いだせない。
「ああ。気の毒だな。今まで無事に保っていたのにな」
「何を話してるのか、わかってるか士郎?」
「おまえの眼鏡の話だ。違うのか?」
「俺が知りたいのは、おまえの考えだ、いまさら何ができる? ――どうするつもりなんだ」
「イズミを……」
 水が流れおちるように、自然に。
 すなわち、師英介の頭脳が算出する『可能性』の一つを決して裏切らず。
 あるがままの定めに従い、如月は答える。
「捜すさ」

 * * *

 硝煙の匂いがいつまでも消えずにまとわりついているのは、気のせいではないはずだ。
 足りない視覚のぶん、他の感覚が過敏にそれらの残留する気配をとらえて反応するのだと、省吾にもわかっている。理屈として、非常に明晰に察知されている。
 移動が近い。
 壁越しに慌ただしい人々の動きが、そう伝えた。
 あてのない逃避行になるのだろう。ろくに足腰も立たない現在の自分が、彼らにとって厄介な荷物となることは間違いなかった。
(選ばれた優秀な遺伝子に……)
 不全な肉体が在ることを父や母は承認し得ただろうか? それは不適格なものとしてたやすく排除されるのだろうか?
「元気か」
 瀕死の重傷者のもとを訪れるのに、そんな無神経な挨拶をよこすのは誰であるのかはっきりしている。如月士郎だ。
 哀れな……。
 そうだ、自分とは違った意味合いで彼も哀れな……暗闇のなかにいる。
「元気ですよ……不毛な想像に浸る程度には」
「なら何よりだ。師との契約を今、切ってきたんでな、俺は暇になる。料金は後払いで、雇ってみる気はないか?」
「何を……」
 けだるい意識のまま省吾は笑おうとした。成功はしなかった。
「何を、あなたは……」
「それなりに便利な身体だ、捜し物には向いている。おまけに俺は気が長い。報酬は、目的の果たされた時点でいい。お互いに、迷惑の少ない条件だと思うんだが」
「…………」
 師英介が自発的に、こんなところで契約を解除するわけがない。
 誰が敵の標的になっているかは明白だ。狙ってくれといわんばかりに親友がひとり出てゆくことを、あっさりと許せるはずがない。
 だが、知略策謀に長けたあの人物でも最後の局面では最下層階級の如月士郎に勝利できぬことを省吾は知っている。醜くも自己本意の負い目というものを、共有する……。
「あなたは僕を利用しようとしている」
 闇の先にいる如月の姿を、今だけは視られたならと省吾は薄く思う。睨んでやる――非難の視線で、はねつけて、優位に立った気分になるだろう。わずかでも。
「師隊長と別行動をとることであなたは組織に敵を呼びこむ危険性を減らそうとしている。関係のないところを歩きまわって囮になるつもりだ。その名目に僕との契約なんてものを持ちだすだけだ。偽善ですよ」
「そう考えるのが、おまえには必要なことなのか?」
「あなたのほうこそどうかしている!!」
 怒鳴りつけた一瞬に、省吾はその行為の虚しさに背をつかまれひきずりこまれる錯覚に襲われる。
(意味がない)
 ここにいる自分の存在そのものが……実は分子間の結合が不充分な、もろく透ける影なのではないかと。何のために生きているのか説明されない無用な物体にすぎぬのだと。今やどこからもさしのべられる掌はないのだから。誰からも。誰にも。
(響子)
 その名への執着が本当は何なのかさえもうわからないのに!?
 まだ生きている。
 まだ――生きている。
(拓己)
 いないのに。
(誰が消した)
(イズミが)
(俺が)
 身代わりに殺したのに。
「俺の精神はいまさら改めて発狂する構造にはなっていないんだ、坊主……」
 充分な理解を促す速度でゆっくりと、如月はゆるぎない事実を述べる。
 狭いベッドに四肢を固定され各種の生体維持機器につながれた、いとも不自由な姿のその少年の内側へ言葉を届かせるには、語調を工夫するくらいではなんら効果はあるまいとも思えたが。
 酸鼻をきわめた、あの絶望の刹那からも、満身創痍ではあれ叶省吾は生還しているのだ。如月はそこに大きな意味を見る。
「それだけひどい状態でもなんとかおまえは死なずにいるじゃないか。それなら、片割れが死んだと決めるのも短絡な話だ。時間はかかるだろうが、どうせ海から先は閉鎖されている、歩けるかぎり捜しまわればいつかは出会える」
「嘘だ」
 空ろに、焦点を失くした二つの瞳をひらいたまま省吾がつぶやいた。
「あなたの言うことはどれも、嘘だ」
「……泣くと苦しさが倍になるぞ」
「泣いてなんかいません」
 涙など見えない。だから違うのだ。
(光あれ)
 創造主が初めに告げたものがそれなら自分はあらかじめ世界に拒まれている。
 拒まれながら。
 生かされてゆく。何のために? 誰のために?
 うまれたことを贖うために?
「嘘だと信じることがおまえの支えなら、それを無理にとりあげるほど俺も悪趣味じゃないが」
 がちゃりと、如月がライフルの銃身を抱えあげたようだった。
「情報は、適宜、送らせてもらう……。次にいつ会えるかはわからないな。ともかく、食べて寝ることだけは忘れるな。そいつをくりかえしていれば、そのうち風向きも変わるさ」
 ブーツの足音はたてずに、寝台のそばから遠ざかっていく。その気配を省吾はずっと膚でとらえていたが、かみしめた唇から零れる言葉は、ぎりぎりの、最後の瞬間まで抑えられていた。
「何があなたを動かすんですか。自棄なオプティミズムですか。無闇な希望ですか」
「…………」
 問いかけに立ちどまり、如月がふりかえる。
「そうするのが俺の役目だと、あの小僧が言っただろう」
 傍若無人に、頭ごなしにきめつけるのが得意な――いや、それ以外に人と語るすべを知らない、不器用な、そして最強の。
 スーパーヒーローが。
「そう言われて、俺が嬉しかったんだ。……ただ、それだけのことだ」
「……すみません」
 ふと――。
 如月へ直接には声を向かわせず、顔をそむけたまま、ぽつりと省吾から、その謝罪は発された。
「勝てなかっ……」
 とぎれた悔恨が誰のものであったのか如月は一瞬、疑おうとする。が、すぐにその思いつきは捨て去った。
 そこにいるのか……と。
 尋ねたとしても、求める姿が目前に得られるわけではないと、わかっていた。

 * * *

「死ぬわよ。あの男」
 来見川翠の忠告は、明確な論理にもとづくものではない。いきのびるために磨いてきた本能で、否応なく感じとられる類のことだ。
「今度こそ風間も甘い顔は見せてきやしないわ。隊長ご本人もそのへんはよく、わかってるでしょうけど!」
「でしょうね」
 それだけの仕打ちを実際に、風間祥に対しておこなったのは如月自身だ。
 撤退作業で乱れた髪を疲労した指でかきあげつつ、幌のかかったジープの車内へと師英介は身体を沈める。未明の空が薄赤く滲むさまを、いつものレンズには覆われない瞳で眺めやると、副長の松島に最終的な移動手段の報告を命じている。いらいらと翠は車外から師の耳元へ上半身を突き入れて、さらに声をはりあげた。
「そこでなんか素晴らしい策が出てくるものでしょ隊長からは? お仕事大歓迎よ、こちとら腕はいいし、おまけに文無しよ」
「残念ながら、私にも守るものが多すぎましてね」
「何それ、老けこんだ話ね」
「まったくです」
 この人物にとって眼鏡という小道具は、飄々とした物言いを演出するためのものだったらしい。他者のはいりこむ余地のない怜悧なまなざしが情報屋を一瞥し、ひややかに促した。
「もっと割りのいい依頼人をさがしたらどうです。人手があるだけ有難いような……」
「失明しちゃって瀕死の重傷だったりするような?」
「彼の眼は潰れちゃいない。他に、どういうかたちで絶望すべきかを知らないだけでしょう」
「手のかかるガキだこと」
 大袈裟に首を振り、それでも彼女は食い下がらずにジープの外側へ身をひきあげ、さっさと立ち去っていく。どういう選択をするかは彼女次第だ。師はその背中が向かう先をたしかめはせず、運転席で待機する松島に、片手の指先でゴーサインを出した。どこへともなく、諦観のひとことが洩らされる。
「人間、祈ることもできないなら、せいぜい食いつないで生きるだけさ」
「そのうち風向きも変わる、ですか?」
 エンジンを始動させながら、松島が反問する。頭痛のきえない面持ちで、じろりと師はそちらを睨みやった。
「誰の信条だって?」
「如月さんですよ」
「れっきとした祈りじゃないか、そいつは。俺はいやだね、もっと即物的に生きるさ」
 即物的に生きている人はわざわざそんなこと言いませんよと松島は答えようと思うが、そのときは、あえて口にせず保留しておくことにした。
 鈍くかすむ夜明けを、ゆくてに控えて。
 瞼をとざした師隊長が今、何かを祈るのならば……妨げたくはないと考えたのだ。

※初出 1995年12月 (商業誌未発表作品)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です