ガンダムと。

カテゴリ(つうかアメブロではテーマと呼ぶのだったスミマセン)の話題のつづき。

唐突ですが、ちょっぴり変えた。

エッセイ→「ガンダム」との闘い

と。

『機動戦士ガンダム』は、戯作者のはしくれとなりし己にとって、偉大な父のようなもの。

そろそろ正面から向き合いたい時だ。

ガンダムと戯れるのではなく、闘うことが我が望み。(いや、闘うっていっても批判するって意味じゃないのよ)

子は親の背中を見て育ち、いずれは親を踏み越えてゆきたいものだと願うのです。

万人認める偉大な作品を前にして、我が身のありさまかえりみず「踏み越える…」とノホホン夢想するのも困ったお馬鹿さんだが、そもそもそんな異形の怪物を(誤って?刷り込みで?)オヤだと思いこんじゃったのが悲劇のはじまりかもしれぬ。

なーんて思いつつ、そのくせ一方で「オヤだからこそ容易に越えられない巨大な壁であってくれ」とも期待しているコドモゆえの身勝手さも抱きつつネ…。

「親は子を選べぬ。子は親を選べぬ」

「…だが、縁、というものがあるではないか」

最近の作品でこんな文を書きましたが、たぶん、これも縁だ。縁ってやつは、しょうがない。

そういったテーマです。

まあ、ぼちぼちと書きます。

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