ここに棲む僕らの耳はだいたいイカれている。
恒常的に非常識にでかい音を聴きすぎて鼓膜は摩滅するばかりだ。
僕の脳細胞はつぎつぎと摩滅してろくに誰の顔も憶えない。
さざめくライトの熱を浴びて眼は焼ける。
僕は、溺れかけた必死の船長がつかむ舵のように黒いスティックを両手につかまえて、4カウントを叫ぶ。
そのときだけ僕がすべてを操っているようだ。
あァ死んじまうな。
そんなこともよくあることだ。
僕らをとりかこむ見せ物小屋の檻の内外に繋がれた酔狂なやつらがみんなよろこんで何かを臓腑から吐きだすように口をあけてロックスターの名を呼ぶんだ。
左側から白く厚く、するどい刃先が来る。
ギター。
僕は、左の中指の骨の芯から冷たい電気に侵入され満たされて凍りつきそうだ。
本能の知っているやりかたで僕の左手は時間の急所を狙って一発ずつリズムの弾丸を撃ちこむ。
斬られるな。撃ちころせ。
無慈悲に。
そんな僕らの殺戮を猶斗は気にかけない。
歌った。
彼を追う光芒と歓声の軌跡を腕で描いて、とびこむんだ。炉心の火に。
笑うんだ。
まだ、もっと。
僕らがはじくおどけた変拍子の棘の上を、たちの悪い猫のように媚をふりまいてスキップした。
走れ。
こぶしをふりあげる群衆のひとつひとつの顔を殴るように、歌った。
黒いエナメルの背中が僕の正面で酸素を吸いこんでは火をつけて吐きだす。
僕は、その背中からすべての装飾を剥いで裸の肩肉を喰いちぎりたい。野蛮に。
どうだいジェントルメン。
腹は減ってんのかい。
どうだい。
生きてけんのかい。
??生贄の血を飲み、肉を喰え。きっと葡萄酒とパンの味がするぜ。
今夜はキリストがいるぜ。
ああ僕の身体が勝手に操られて止まらなくなって連れていかれる先はどこだか知っている。
一瞬だけさ。
脈拍より速くかけめぐる真っ白な真っ白な光が来るんだ。
歯をくいしばって見ろ。
僕らの醜悪な四肢の叩きだす原始の響き。
つよい光が拡がって、遠く、高波のように観客の頭上を嘗めていった。
悦楽に啼いてとりみだすあの子たちの顔を、鮮明に暴いていく。
闇の海の彼方まで僕らの叩く生命の塊がまっすぐに貫通してゆくのが僕の場所からは見える。
とても見晴らしが良かった。
汗だかエビアンの水だか判別のつかない輝きの飛沫をはねとばして猶斗が。
僕らの舞台の真ん中で一度、歌いながら、勢いのついた鞠のように肩から転がった。まばゆい天の鉄骨を睨んで笑った。摩滅して衰退する肉に逆らって、はねおきた。そうだ、行っちまえ。僕は、いっそう左側の殺意に従って、右側のライドシンバルを殴る。行っちまえ、と叫んだ。
ふりむいて猶斗が僕らを見た。僕を、ベーシストを、キーボーディストを、ギタリストを。彼を貪り殺戮する僕らを。それは、なんだったのだろう。怯えのようでも、嘲笑のようでも、陶酔のようでもある表情で、頬を痙攣させた。
(歌えねかッたら、死んじゃうなァ)
なんでもないと僕は思う。
なんでもありゃしねえ。
ただの震えだ。
猶斗が喉を覆うかたちに掌をあげる。光が彼を追う。帯電した空気がふきつける。嵐のように膨張する音圧。歓声と放熱。
なにもかもを蹴散らすみたいに猶斗がそのとき、跳んだ。
ステージのへりの、その先へ。
屹立する断崖の向こうへ。
消えた。
「??落ちたアッ」
どこかでだれかの悲鳴がした。
最前列の柵に我をわすれて腕をのばすレミングの集団が殺到する。
バリケードをおさえる警備のスタッフが将棋倒しの危機に見舞われて凄絶な抵抗をこころみる。
けれど舞台にいる僕らは、誰ひとり、刻まれるビートの連続を止めずにいた。
ステージからぬけおちた歌の、ぽかりとした空洞をそのまま持続して、叩いた。
不恰好な代わりの音で埋めもしなかった。
ただ、続けた。
僕は、ひどくかるがると挙がる両腕でタムを順繰りに殴りつける。
葦宏は、強いピッキングで低音を泳がせながら、お祭り騒ぎのように踵を踏みならして踊っていた。塗りたくった唇をひきつらせて、笑っていた。
ステージと客席を隔てる、からっぽのオーケストラピットの底に、猶斗は身投げするように落ちて、動かなかった。
地に這う芋虫みたいにうずくまっていた。
だけど僕たちは待った。
音符の間隔はずっと、ひっきりなしに猶斗の名を呼ぶやつらの金切り声で満ちた。
赤い髪のギタリストが、憎らしいほどに眩しく艶のある弦の切っ先で、疾走する旋律を弾きぬいた。
僕らの欲望を覚醒させる、響きを。
なにかに挑む力で。
弾いた。
そうして僕たちは、待った。
待ちつづけた。
ひとすじの光が、僕らの見つめる先に降りそそぐ。
ステージの下へ。
そこから歌がきこえた。
光の粒をはじくエナメルの背中をゆるやかに動かして、きつく握ったマイクを唇によせて、地べたから頭をもたげて、猶斗が歌っていた。
滅びない歌を。
〈了〉
※初出 2001年12月「文学メルマ!」