WAKE UP YOUR MIND’S “JESUS”

 明日が愉しいと思えるなら、生きていられる。

 be patient. ――忍耐強くあれ。日に何度も己を戒めるのは自らが放埒な性根を飼っていると知っているからだ。
 良い子ちゃんでいたいってことかい、ご苦労な話だ、と〈炎使〉が言う。点数稼ぎの外面か。くだらねえ自意識とプライドさ。――いいや違う。私はそうは思わない。
 もっと本質的な危機管理だ。

「エドウィンって何で生きてるのかな?」
 レモン味のシャーベットを食べながらクリストファーが言った。
「は?」
 エドウィン・アーサー・K・クレイトンは、食卓の傍らの立ち位置から聞き返す。この少年がくりだしてくる唐突な質問には常に二十四時間ウェルカムの札をかかげて立つエドウィン・アーサーだが、どんなに用心深くストライクゾーンをひろげて待ちうけても、たまに脳天めがけて飛んでくるビーン・ボールは避けられないものだ。
「何で、といいますと……そこには、私にとって自動的な『どうにもとまらない』の事象と、とりあえず能動的な意志の要因と、宝くじで一億ドルあたっちゃう系の受動的な命運というような部分が、さまざまに同居しておりますね」
「うん。つまりぼくはこの夏シャーベットとアイスクリームで生きることにしたんだけど」
 輝く黄金のスプーンを唇にあてて、ぼんやり宙を眺める目つきでクリストファーが続けた。
「ジャスティーンはお金で生きてるし、カルロは卵黄とメレンゲで生きてるよね?」
「……はあ、なるほど」
「たぶんファイアマスターは記憶で生きてるし、ルウは好奇心で生きてるんだよね」
「……ええ、なるほど」
「それでたぶんエドウィンはぼくで生きてるんだけど、そのときぼくがアイスクリームで生きてるってことはエドウィンの人生はハーゲンダッツに左右されてるのかな?」
「もちろん、とても左右されていますよ」
「ふうん。ハーゲンダッツって偉いんだなあ……うっかり壊さないようにしなくちゃ」
 それはちょっと違う結論なのだがエドウィン・アーサーは反論しなかった。ただ、万が一ハーゲンダッツの支店が近所になくなっても世界の涯からでも私が買ってきますから大丈夫ですよと答えた。
「ただし、シャーベットとアイスクリームだけでは栄養が偏ります。忘れずに三度のお食事を召しあがっていただかなくては」
「うん。エドウィンは? 栄養は偏らないのかな?」
 また難題だ。エドウィン・アーサーはしばらく、クリストファーをみつめたまま黙った。あまり、お茶を濁して避けてよい局面にも思えなかったので。
 嘘ならば鋭敏に読む、この万能の少年には、心をすべて覗かれてもしかたない。しかしだからといって言葉選びに手をぬくことを、クリストファーは嫌うのだった。
「You filled me up, sir. ――充分に機能的なサプリメントだと思いますよ、クリス様」

 それは本質的な危機管理だ。
 赤いシグナルが点滅する前に保全しなければならない炉心の火。
 眼前の男の頭に銃口を向けながら考える。
 死んだ庭師のかわりに雇われた、その新しい暗殺者が、催眠や暗示を拒む頑健な精神のつくりを盾に生きのびるつもりだったと知ったときエドウィン・アーサーはいっそはればれと哄笑したかった。
 残念ながら私は不具者ではないのですよ。まして清廉潔白な聖者などでも。
「だから、超能力の手品でしか人を殺せないというわけでもないのです」
 ――何を勘違いしたのか?
 銃爪をひいた右手がばしゃっとはじけた鮮血と醜い体液を浴びた。訓練どおりの射撃姿勢は肩や手首にかかる衝撃をきちんと減らしたが、どろっと指のつけねに入りこんだ他人の体温は避けがたい不快だった。
「あーあ、庭先でやりやがった」
 通りがかったガディスが舌打ちをした。彼もまた無関心な残酷さで言う。
「ちらかしたものは、自分で片づけろよ」
 ――もちろん。言われなくともエドウィン・アーサーはそうした。何もなかったように、元通りに。
 その暗殺者の名が嫌いだった。アーサーという凡庸な名の男だった。厭な皮肉だった。

 ルウ・シルヴィアンは屋敷の門をあけて、花屋から届いた生花の束を腕いっぱいに抱えたところだった。夏の光が天からきらきらと降って、濃い橙色の向日葵に吸いこまれていくような昼下がり。
 屋敷に戻る小径をふりむいたら、ちょうどエドウィン・アーサーにでくわした。
「ミスタ・クレイトン! おでかけですか?」
 朝のうちに聞いた予定には入っていなかったから、花束ごしに声をはりあげて尋ねた。こんな真夏日でも仕立てのいいスーツを着崩さないエドウィン・アーサーが、品のいい笑顔をルウへ向かわせた。
「ええ、ミズ・シルヴィアン。ハーゲンダッツ・アイスクリームのラズベリー味を買いに」
「あら、大変! わたくし、走って買ってまいりましょうか!?」
「いいえ大丈夫ですよ、これも私の愉しみのひとつなので」
 それなら、ネクタイくらいゆるめても誰も見とがめないだろうにとルウ・シルヴィアンはひそかに考える。けれど、ルウは彼のそういう自律心が好きだった。
「クッキー・アンド・クリームも美味しいですよ!」
 ルウは口の横に片手をあげて、エドウィン・アーサーの背中に声をかけた。
「どうもありがとう、忘れずに買ってきますよ」
 エドウィン・アーサーが答える。まるでそれ以上の幸福が、この世に存在しないほど、彼が幸せであることをルウ・シルヴィアンも知っていた。
 そう、きっと。

〈了〉

※初出 1999年8月 (商業誌未発表作品)

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