ネオ・ストーリー

 折れたギター。

「やっぱ弾けねえや」
 無能な笑い方をして俺はそう呟いている。
「ごめん他のやつ呼んで」

 サヨナラ俺のギブソンレスポールカスタム『突撃号II』。
 れーこ社長のうらめしい顔が目にうかんだけど。ゴメンネって頭さげるっかない。
 せっかくの義理つぶしちゃって。いいお仕事だったのに。
「テツさん!!」
 仕切りのディレクターだか先方のマネージャーだかそのへんの誰かが飛んでくるかと思ったら、来たのが加納光ちゃん本人ひとりだった。ので帰りづらくなった。
「すみませんでした哲郎さん! 俺がっ……」
 スタジオの扉出るなりカノンのほうがばさっと金茶に染まった長い髪ふりおろす勢いで身体おりまげて頭さげた。おいおいと俺はなんだか機先を制されて、やはりまだ無能なままで立っている。
「俺が!! 哲郎さんに弾いていただくだけの曲が書けなくて!! 申し訳ありませんでした!!」
 いや。
 そりゃちがうんじゃないの。
「……あのさ」
「はい」
 また、ばさっと髪を動かしてカノンが顔上げて俺を見た。
 グラサンしてない、ステージ用のメイクもなしのカリスマボーカリストは、間近でスッピンでもこっちの気がひけるくらい『お素敵』でカッコイイ。
 まっすぐ来た視線が、もっとお素敵だった。
 自意識・プライドばりばり男。
 曲が悪いなんて謙遜してるときにそんな眼をするですか普通。
「ごめんねえ、俺ちょっとかなり下手にしか弾けなくて」
「哲郎さんは下手じゃないです」
 スタジオの床に放ってきた、ネックから叩き折ったレスポールカスタム。
 あの音、聴かれて、まだそう言われても、やっぱり慰めでしょう。
「俺の考え方が甘かったです。この曲でこのアレンジでまんま哲郎さんに渡したら……俺が無礼でした! すみませんでした!」
「加納くん、きみさ……」
 かかえる楽器がなくなっちゃって手持ち無沙汰で俺は、もじもじとジーンズの腰で両手の指こすりあわせて、のっそり訊いてみる。
「ZEIT好きだったよね」
「はい」
 とたんにずばんと頭の上で何か爆発したみたいにへなへなっとカノンちゃんが殊勝な人になったのが面白かった。
「……好きです。すみません」
「謝んなくていいけど」
「やっぱテツさんにはバレましたよね」
「うん。バレた。京ちゃんの書いた曲かと思ったもん」
 ほんとう言ったら、それはそのままじゃなくて。
 軌道の先にあるもの。
 あのバンドが無事に続いてたらきっと辿りついただろう、そういう場所。そういう音。
 なつかしくてかなしい。
「だからやっぱあれは弾けないわ」
 俺はあらためてへこりと首を前に落として謝る。ゴメンネって。
 カノンちゃんのせいじゃない。俺が俺のままじゃ弾けない。
「秋史さんに、俺、並ぼうと思ったんじゃないです。俺のなかに鳴ってる音……欲しくて……迷わず哲郎さんだと……でも駄目だ、駄目でしたそんなんじゃ……底が浅いんだ俺、くそみっともねえ」
 カノンはカノンでまだ俺の話聞かないで一人でぶつぶつ自己批判にハマっている。あーもー若い人はこれだから。
 かわいいよね。
「加納くんさ、なんでギター、俺ひとり呼んだの?」
 そのとき俺は自分でも、あっ凄く馬鹿なこと訊いたなとわかってた。
 けど。
 分厚く大きなスタジオの扉、背にして立ちつくしたカノンが不意をつかれた子供の真んまるい眼をして俺を。睨んで。
「バッ……」
 馬鹿、と俺は呆れて――怒鳴っている。
「泣くかおまえそこでええっ!?」
「すいません」
 ばたばたっと、ひらいたままの両目からホンモノの涙、落とした顔でカノンは自分の口元おさえてなんでだか一つ覚えに謝る。
「すいません」
「…………」
 俺がおもっきし苛めたみたいじゃないのよ。
「すいません。正直……ほんとに正直なこと言います。テツさんの音があんな淋しかったの聴いたの、俺の一生んなかで初めてです」
 って。
 今日初対面のボーカリストから、しかも現時点で泣いてる男から、急にそんなこと告白されたっておまえ。
 どうしろっていうの。
「まだキョウヘイさんを待ってるんだなあと思いました」
 ぽつんとカノンが言う。
 言ってからまたがばっと頭さげて、
「俺すげえ失礼なこと言ってますけど! やだったら殴ってください。ホント俺むちゃくちゃ言ってますから」
「……いや別に」
 キレイなカオ殴りたくないし。
 俺の手も大事だし。
「……本当のことだし」
 がーん俺としたことが。
 さらっとした答え方はできなかった。
「つまり俺ってばほんとにあいついないと役立たずなギター弾きだったのねというのが……今日、さっきアレ弾いて遂に白日のもとにさらされてしまったので、そんな最低なギター、きみの大事なCDに収めるわけにいかねえやと……。まあ、そういう話だしょ」
 ああ職業ギタリストとしての甲斐性、ぺしゃんこ。
 きっちり一人で立ってられると自分じゃ思いこんでいたけれど。
 ガキだなあ……。
「俺は今日のテツさんの音も好きでした。……けど、テツさんはそこで満足する人じゃないんですね」
「うん。俺、恨み節って、演歌ってキライだからさ。あんたいなくてもあたしは元気よ安心してねって、そっちのが好きだからさ……」
「哲郎さんらしいですね……」
 俺は演歌しかやってねえやって再度カノンが自己批判に走る。いいの! 俺のこの体質は俺のものだからあんたは真似しなくていいの!
「だからさ……迷惑かけてゴメンナサイなんだけど……。俺の音が新しくなったら、それ加納くんがもしも気に入ったら、またレコーディング呼んでよ。俺ヒマだし」
「はい」
 こくりとカノンちゃんがすなおに頷いた。
「俺……俺も多分まだZEITを待ってるがわの人間なんです。でも……俺の音とは関係ないって言える、正真正銘のひとりのボーカリストになれたら、それが哲郎さんと一緒にできるときかなって……。そんなふうに、思います」

       * * *

「とおまえは俺にうるうるのマナコで言ったのと違うかい、素晴らしい歌い手になって哲郎さんのギターで歌いますと!! 文句いわずにとっとと歌え歌わんかいっ!!」
「俺は俺の美学を表現してくれるギターを待ってたはずなんですよ、場末の男芸者みたいなありさまには堕ちたくないから言ってんですよ、絶対あんたがそこで俺の歌入りを妨げるんですよ、インパクト第一じゃなくて詩情っていうものを少しは残してくれなきゃ客には歌詞どころか俺の声も届きゃしませんよ!!」
「ほおおおおカノンちゃんの美声は俺のギターが一発鳴るだけで消えるのね、あーそー」
「ムキになって消しにかかってんのは誰ですか、あんた騒音出してる自覚ないんですか一体!?」
 空約束と空手形ばかりの音楽業界で、どこまでこんな縁、つづくもんだか知らなかったけど。
 これが現在の、SEXION――天下のスーパーギタリストと、美貌のカリスマボーカリストの闘争の場であったりして。
 カノンちゃんは当初の猫かぶってた態度はどこへやらで、ぜっこーちょーに口のへらないやつだし。
 俺のメインギターは、フェルナンデスのストラトモデルに変わって。
 どっちに軍配あがってもいーから早く終わらせてねと、れーこ社長は既に悟りきった態度で。
 そして。
「ならばキミタチ、こういうのはどうかね?」
 にたりと悪巧みのカオでもって、フェンダーストラトキャスターをとりあげるギター屋が一人、俺たちの知らないフレーズを奏ではじめる。

 優しい音を。

〈了〉

※初出 1995年12月 (商業誌未発表作品)

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