sand eclipse

 砂。
 仄かに光っていた。
 大地をかたちどる微細な素子。
 左手の指先に。
(地上のすべては壊れそして原始の一点へ還る)
 風が、闇の背後から吹いてきた。無常の夜。妨げられる視野。如月士郎は瞼を閉ざし、苛烈な風から身を隠すように、背をまるめて屈んだ。地表から細かい砂塵。荒れる、渦をえがく。ここは滅んだ、無人の野。
 とうに死んでしまった大地。
 とうに生命をもたぬ仮想の身体。
 おなじことだ。
 だから、慕わしい。
 メタリックな人工光を孕む瞳孔を再び開いて、如月は一面の空虚をみはるかす。夜は冷ややかで、響く音もなくしてしまったようだった。がらんどうの、閉鎖世界。肉眼視できぬ覆いで天をふさがれたまま。
 ふと見ると、屈みこんだ如月の足下、ブーツのつまさきが届く辺りから砂丘は急な傾斜をつくっていた。黄泉へつづくような下り坂を、さららと砂がすべりおちていく。まるで蟻地獄に似た、果てのない、底の見えない奈落だった。
「こわいか」
 少年の声がした。
 凛と、芯の張った、あの少年にしかできない話し方の。
 声が、隣で。
「僕の求めるものが怖いか如月?」
「響子だろうと、ジュリアだろうと、なんであろうとかまわないさ」
 なめらかに崩落していく砂の斜面をみつめながら、如月は答える。
「おまえが行くならば、そこへ行くさ」
「真実を」
 イズミが言った。
「この世界の真実を、拾いにいかなきゃならないな」
「遠いのか?」
 如月は左手の指先を見る。光る砂の粒子。
 風が攫った。
 深い穴の底へ。
 すばやく斜面を跳ね、ころがり、かけおりていく。
 愉しげな運動だった。
 そして真っ暗な空洞にのみこまれ、消えさるのだ。
「いや、どこでもかまわないさ。どれほど遠くてもいいんだ」
 少年の返答を待たず、如月は続ける。
「もう俺には怖いことなど見あたらないんだ、イズミ。たったひとつ、来た道を後ろに戻ることだけが、俺にはおそろしい」
「目の前だ、如月」
 イズミが呟いた。
「目の前だ。世界のすべてはそこにある」
「俺をつれていってくれるのか」
「おまえは弱虫だな如月。僕がいなくちゃどうにもならないのか」
「人間は誰もそうだ。ひとりではいられないんだ」
「寂しければ案山子でも抱いておけ」
「おまえも人間だ、イズミ。だから俺がおまえを追っていく。俺の眼が、おまえを繋ぐだろう、この世に。おまえの戦いは速すぎて、俺の眼でなければついていけない」
「ふん。寂しい話だな」
「しかたないさ」
 如月が言う。
「しかたのない運命だ」
「嬉しそうに言うな。どうして僕はおまえになんか」
 言葉を半ばで止めて、少年が空を仰ぐ気配があった。影が揺れた。
「運命か。だがな如月、おまえを未来へつれていくのは仕組まれたシナリオやプログラムじゃないぞ。僕だ。僕という、輝かしい生命だ」
 風。
 如月の背を圧して吹きぬけた。
 ――立ちあがれ。
 闇からの要請を、運んでくる力だ。
 如月は、冷えた唇にかすかな笑みを刻む。幸福な、おそらくは愚かしい笑みを。
 傾けた上体を起こし、膝をのばして立った。
 ――歩みだせ。
(目の前だ、如月)
 ぽかりと削除された地表、その深淵のなかに。
 踏みいる。
 一歩を。

* * *

 がつん、と大地が鳴って、意識が甦る。
 硝煙の匂い。周囲は暗かった。夜。だが真の闇ではなかった。月が。
 天を占める雲の合間に、ちぎれた月の輪郭が。
 うつくしく冴えていた。
 光の筋が、如月の左眼を刺した。如月はまばたきをしたが、左眼の光は離れなかった。瞼が落ちなかった。生身のものより強化された代用の皮膚が、今は自由な動きをうしなっていた。
 頬が砕けたのだ。
 指でふれて確かめようとして、左腕も持ちあがらぬことがわかる。動かそうにも腕そのものが、存在しなかった。
 後頭部と肩の接した感触で、大地の硬さを知る。しかしそれ以外の知覚は麻痺していた。極度に破壊された身体は、詳細な痛覚や触感をきりはなすことで、精神を狂わさず保つシステムをもつ。
 横たわった如月のまわりに、折れた枝のようにちらばっている黒い影は、人形どもの残骸なのだろう。
 とても静かだった。
 ここもまた死の戦場。
 ここもまた、生命をもたぬ疑似人間たちの墓場だった。
 ――何を夢見た?
(目の前だ。世界のすべてはそこにある)
 如月は、おぼろな視界をゆっくりと動かしていく。天から、地へ。
 降下させて、止めた。
 そこにも光の源泉があった。
「なんてありさまだ、如月」
 如月の眼差しにとらえられると同時に、少年が口をひらいた。
 やわらかな亜麻色の髪をつつむ光。
 蔑むように見下す。傲然と、彼にしか似合わない表情で。
 笑った。
 月よりも太陽よりも、美しく。
「僕がいなくちゃどうにもならないのか」
 ああ、と如月は答えた。声は呼吸音にしかならなかったが、伝わったはずだった。
 ああ、そうだ。
「他にもっと僕に言うことはないのか。綺麗だとか素敵だとか素晴らしいとか」
 イズミが言った。
 あの頃のままの口癖だった。
 記憶よりも僅かに大人びた貌つきで、如月の姿をみおろしていた。
 如月も、微笑した。
 こわばった顎を軋ませて、告げた。
「おまえほど美しい世界を他に知らない」
「ふん。おまえなんか馬鹿だ」
 無残に壊れたサイボーグの四肢に視線を横切らせ、イズミが吐きだした。不機嫌に、くりかえした。
「おまえなんか、ただのとんでもない馬鹿だな。如月」
 彼は泣くのだろうかと如月は意識の隅で思う。けれどイズミは泣かなかった。
「おまえが立ちあがるまで待ってやる。だがのんびりはできないぞ。僕は見つけに行かなくちゃならないんだからな、ほんとうの真実を」
 夜風に髪を流し、イズミが言った。
 防塵ケープの影がはためいて、翼のように鳴った。
 未来を指し示す救世主の、天へふりかざす旗のように。
 如月はその響きを耳に受けとめて、風のゆくえを聴く。
「ああ、立てるさ」
 滲む光に向け、囁いた。
 すぐだ。
 もうすぐに、その傍らへ帰るから……。

〈了〉

※初出 2000年7月 (商業誌未発表作品)

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