ラッシュ 06

 ??ラッシュ。
 死んだ男が言っていた。
 静脈にニードルで直に濃いメタンフェタミンをぶちこむ。
 とんでもなくトベるんだ。エージさん。
 その一瞬、にぶい愚鈍な邪魔な身体が消えて透明なタマシイだけになって神のいる場所にトベる感じがするんだ。
 神のいる、本当に真実に間違いなく高いところにいけんだ。
 ラッシュ。
 俺らは天国をそう呼ぶんだ。
 オンナいないの。僕は、彼に訊いた。別に、とギタリストは言った。彼の部屋のなかはきれいだった。少し神経質に片づいていた。誰もいなかった。バゲージラックに置かれた鞄の口は閉じていた。テーブルには一輪挿しの花瓶と灰皿とホテルのご利用案内と電話機と備えつけのメモ帳が元々のまんまで置いてあった。潔癖性なのかい、と僕は訊いた。
「たとえば、火事とかあって」
 真面目な顔で彼が言った。
「そういうときあちこちに荷物ひろげてると困るでしょ」
 そうかな、と僕は思った。
「きみ火事なんか怖いのか」
 僕が訊いたら、彼は一度眉間をしかめて、考えた。赤い前髪を透かして僕を見た。ぼそりと言った。
「不測の事態ってヤじゃないですか」
「うん。まァな」
「人とかそういうふうに死にますよね」
 礼儀正しい口調で彼がつづけて言った。
「なんかよくわかんないうちに、予測の外で、不意をついて死にますよね」
「うん」
 部屋の冷蔵庫とミニバーを眺めて、僕は小さな瓶入りの冷えたオレンジジュースをグラスのなかに移した。アルコールには手がのびなかった。酔っぱらうのキライなんだよ、と僕は何か訊かれる前に言った。
「なあ、頼むワ」
 僕は、そのわりにいまいち素面でもないようなことを言う。
「なあ頼むよ。きみのギターはだめだ。猶斗にはだめだ。うるさいんだ。本気すぎるんだ。猶斗のほうに加減がなくなっちまうんだ。やりすぎるんだ。だから猶斗の喉が壊れるんだ。商売だろ、ショウビジネスなんだぜ、ペース配分ってやつがあるだろ、わかるだろ。なあ、やめてくれよ」
 ギタリストは答えなかった。
 僕をじっと見ていた。
「猶斗はもうそんなに歌えないんだよ。昔みたいには歌えないんだよ。あいつももういい歳なんだよ、きみみたいに真っ赤な生傷に無遠慮にナマの神経むきだしてる思春期の小僧みたくさ、いつまでも初期衝動のアマチュアの青臭い若いキリキリした音で続けてらんねえんだよ。なあ、変なケンカ売るのやめてくれよ。頼むよ」
 彼は、暗いミニバーの横に立って僕をしばらく見てから、
「だって」
 と言った。
「そう弾かないと死ぬじゃないですか」
 低めの声で言った。
 僕は、なんでだかとても驚いて、ギタリストの顔を見返した。
「なんだいそれ」
 よく意味を知りたくて訊いた。
「何のケンカも売らずに猶斗さんと演ると、こっちが殺されるじゃないですか」
 彼が言った。
 あれ。
 僕は、冷たいオレンジジュースをグラスから飲んだ。ぼんやりと飲んだので唇のはしから洩れて顎が濡れた。
 あのクスリ漬けの昔のギタリスト、なんて言って死んだっけ。
(??ラッシュ)
 エージさんはたまに、いっちまわないかい。
 いかないかい。天国。
 猶斗とサ。
 猶斗とステージにいるとサ。
 ねえ。
「そうだ。ロックスターだ」
 殺されるぜ。
 僕は、ぽかんと言った。
 今、まだそこで生きている、赤い髪の新しいギタリストは黙って僕を見ていた。
「ロックスターだ。あのな。中毒だよ。依存症だ。落とし穴みたいに絶頂があんだよ。やめらんねえんだよ、それが怖いんだよ」
 僕は誰にむかって話しているのか、あんまり筋の通らない話し方をした。
「バカなハマリ方してんだ。僕も、葦宏も、ファンのやつらもだ。猶斗なんかに」
「猶斗さん、カッコイイですよ」
 愛想のない口調でギタリストが言った。
「俺も好きですよ」
「うるせえ」
 僕は両手で頭をかかえたくなった。
 降ってくる何かから頭を庇うようにしたかった。
「うるせえ。昔は違ったんだ。今とは違うんだ。馴れるんだ。耐性がつくんだ。ハマっちまった奴が死ぬのは次から次に摂取量を上げていくからだ。きりがなく貪るんだ。食い尽くしちまうんだ。でなきゃ過剰摂取でいかれちまうんだ、どっちかだ」
「いいんじゃないですか」
 平気でギタリストが言った。
「なまぬるく手をぬいて腐らせるよりずっといいんじゃないですか。天才なら」
「うるせえ」
 ガキでもねえくせに。
 青いこと言うな。
 無慈悲なこと言うな。
 僕は、そう思った。が、言わなかった。
(エージさんもですよ)
 彼が僕にそう言ったのを憶えていた。
 糞野郎。
 僕は、甘いべたつくオレンジジュースが濡らした顔を両手でこすった。何度もごしごしと拭った。半端にのびた髭がうるさかった。
 ふと思いたって、部屋の扉をあけて廊下を覗いてみた。まだ葦宏が元の場所にころがっていた。僕はこみあげる変な笑いとむかつきを感じた。
 葦宏、ゴメンな、と僕はそこから声をかけた。葦宏は、だるい顔で、眼球を動かして僕を見た。ギラッとした狂気の目玉だった。そして自動的な動きのように笑った。僕にはそれが、とても優しいものに見えた。
  (続く)
※初出 2001年12月「文学メルマ!」

また連休ですな

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秋は連休が多いですね…
(体育の日かあ…。素敵ねえ…。しかし私はシメキリなのさネ)
月曜が祝日なので、来週の「ラッシュ」は、また火曜更新になるかと思います。
御了承よろしくです。
「ラッシュ」について、ちびっと補足コメントを。
よくきかれる質問にお答え。
Q・この作品は「グラスハート」と、時間が繋がっているの?
A・繋がってます。
Q・ヤツがこっちでギター弾いてるってことは、テン・ブランクは解散したの?
A・解散してません。ご安心を!
「バンド解散してないけどヤツが外でギターを弾いているのは何故?」
その事情は、グラスハートの新作で。
もうすぐ書くよー。

愛と平和

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他愛ない朝の1コマではあるが。
「他愛ない」って、イイよな。
でもって、
コンビニスタバやっと出会えて飲みました…
むむ…
ミルクの奥底に…確かにほのかにスタバの豆の味がする(笑)けど…
やっぱ歩いてお店に行くほうがいいな。
スタバの価値は、コーヒー自体以上に「スタバという空間」にあるような気がする。
さて私は
ものすごく面白い小説を読んでしまい
寝食を忘れてゴゴゴゴと読んでしまい
くらくらする心持ちで
ハッピーです。
小説は最高だー。
ラブだー。
最高に大好きだから
だから私も書くのです。
へへへ…。(なーにを今更ねえー)

ラッシュ 05

 猶斗は。
 僕が最初に出会ったころの猶斗はあんまり笑わなかった。
 馴れてなかった。
 声だけがきこえていた。
 ??歌ってたな。
 僕は、眠らずに、青っぽい光が洩れてくるカーテンの隙間から外を見た。まだ浅い夜だった。地上には電気仕掛けの光が散らばって、絢爛にまたたいていた。白い身体をベッドいっぱいにのばして、ノリコは眠っている。それは健康だと僕は思った。とても美しい。
 僕はホテルのカードキーと煙草を持って、こっそり部屋を出た。僕らミュージシャンの泊まる階は、まるごと貸しきりで、部屋を出ても勘違いしたファンの連中なんかには会わずにすむ。
 すむはずだけれど。
「エーさん」
 スリッパでぺたりぺたりと廊下を歩いている葦宏には、でくわした。眼が充血して、顔色が青黒かった。僕を見て、唇をひきつらせて笑った。葦宏がステージで化粧をするのは、素の顔が薄汚すぎるからだ。水木しげるの描くネズミ男みたいだ。僕は「おう」と意味のない声をかけた。
 葦宏には本物の妖怪みたいにぺたりぺたりと廊下を歩きまわる癖がある。覚醒剤が効いている間にじっとしているとあれこれ考えすぎて鬱になっちまうせいだ。クスリの効き目が切れればいっそうバッドになる。どっちにしても不自由なクスリだ。
「ねえエーさん」
 僕の耳元に、顎の先からすりよるようにして、小声で言った。
「ナ、猶斗サ、歌えんのかな。どうかな」
「知らね」
 僕は、本当のことを言う。
「アホかい。眠れないんだったら三宅らと飲みにいきゃあよかったんだ」
「や、やだよ。あいつらサ、酒飲んで笑ってんだぜ。俺つきあえないよ」
 ひきつった唇で葦宏も笑っているのに、そんなことを言った。
「あいつら商売のオンナ呼んでゲラゲラ猶斗のネタでくだらねえ噂して、あれんなかに指つっこんでんだぜ。エーさん、俺、やなんだよ、きたねえ悪口陰口、平気で良心の呵責無しで言うからオトナはキライだよ、みんな腐ってんだよ、きたねえよ」
 なに言ってやがんだ葦宏、てめえももう三十の手前だろ。オトナだよ。
「やだよ俺、俺はニンゲンのホンシツのミニクサを憎むよ、あれもこれもきたねえよ、怖えよ」
「酔っぱらって言うなや」
 僕は、なんとなく気の毒で、半分はいらだって、葦宏に言った。
 葦宏が、泣きそうに顔をゆがめた。ただの顔面麻痺だか、本当に泣きだしたのか、よくわからなかった。
 筋の浮いた太い指で僕の顔の両側をつかんで、唾をすするようにキスをした。
 よしとけよ。僕は、ものすごくいらだって、葦宏の腹をはだしの足の裏で蹴った。ぶすんと格好良くない音をたてて葦宏が尻から廊下にころげた。僕は、それから悲しくなった。胸郭の底のむかつく悲しみだった。
「クスリな、いいかげんにしときな」
「ハハ」
 壁に後ろ頭をぶつけて、葦宏はにやりと唇を曲げた。大丈夫だよエーさん、と言った。
 俺はサ、うまく使ってっから大丈夫だよ。バカなハマリ方してねえよ。心配ないよ。
 そうかい。
 僕は、情のない返事をした。
 やる奴ァみんなそう言うなァ。
「ハハ」
 変な膝の折り方で座りこんで葦宏がハの音の息を二回吐いた。
 僕は、葦宏の汚い顔から視線を離して、首をねじった。ぼんやりしたオレンジ色の灯りが上等なカーペットを照らす静かな廊下の先で、扉がひとつ開いた。内側から、腕が一本あがって扉の重みを押しのけた。冷静な顔で僕らのことを見た。ギタリストだった。僕の頭のなかで、そのとき、手榴弾のピンがぬけるような奇妙な感じがした。
「あんなギターがあるか」
 僕が言った。とても唐突だった。
「なんだてめえ、あんなギターがあるか」
 僕は、無意識に怒鳴ったらしかった。だいぶでかい声が出たようだった。僕のベッドの上のノリコが起きてしまうと思った。誰かがもし今、部屋のドアをあけて僕らの様子を覗いたら僕はとびかかって殴ってやる。
 エーさん、と葦宏が低い位置から僕に何かを言おうとした。僕は、大音量のバスドラを蹴るときより本気で、その汚い顔をサイドキックでふっとばした。固い頬骨が僕の土踏まずにあたって痛かった。少し爽快だった。
 廊下のカーペットに顔をこすりつけて葦宏が今度こそ本当に泣き声を出した。僕は少し愉快だった。
 ギタリストは、黙って、僕らのことを見ていた。僕の愉快な気分はすぐにさめた。いろいろな事柄がつまらなくなった。
 つまらなくなった。
 エージさん。彼が言った。あまり諦めていない声だ、と僕は思った。あんまり諦めていない呼び方だった。
「飲みますか」
 普通の声で彼が言った。ひどいやつだと僕は思った。
「おう」
 僕は答えた。
 ギタリストはそれから葦宏を見た。葦宏はカーペットにうつぶせに寝転がって呻いていた。「泣かせときな」と僕は言った。ギタリストは、僕の言ったとおりにした。
 
  (続く)
※初出 2001年12月「文学メルマ!」