NOEL

 星。金色の、星のかたちをした飾りが、樅の木のてっぺんについていて、それがいちばん特別なもののように光を浴びて輝いていたから、あれがいい。
 綿でできた雪のイミテーション。順繰りに点滅する豆電球。プラスティックの人形、トナカイ、サンタ。あちこち電気仕掛けで動く。ぴかぴかひかる。透明なガラスごしの世界。ミニチュアの、一家団欒な一軒家、煙突つき。ショウウィンドウの表面に前髪ぶつけて覗いていたら、ワーイと走ってきた子供、どしんと膝に抱きつくみたいに俺の足に来るから、なんだよどうしたのと訊いたら、もじもじ黙る。
(小さいガキ嫌いなんだよ俺ほんとうは)
 あのねーいまねーママにねークリスマスのおもちゃかってもらうんだよー。
 フーンそっか、よかったな。
 うふふ。
 得意そうに笑って、ぱたぱた走ってった。
(プレゼントはサンタに貰うんだろ、ママに買ってもらうってどうだよ、間違ってねえのか)
 まあ、いいけど。
 季節のせいで街が明るいから夜なのにサングラスをかけて待つ。
 サンタって、いつのまにか来るからいい。来るのが見えないからいい。来なくてもわからないくらいがいい。サングラスをかけて待つ。ショウウィンドウの華やかな人形達がくるくるまわる動きをながめて待つ。どこかで聖歌隊。道端でコーラスが始まってる。ノエル。ノエル。

「なにがほしいって?」
「あれ」
 金色の星を指さして言う。
「……ああ。わかるよ」
「ほしいなー。すっげほしい」
「手に入ると思うよ」
「……言っとくけど、このガラス壊すなよ」
「なら、もっと簡単な手で行こう」
 俺のサングラスを引き抜いて、おまえの指、まっすぐ真上を指さした。街の輪郭どおりに切りとられた夜空、真冬の星座。案の定、しらっと言いやがる。
「どれもおまえにやるよ」
「なあそれ最初だれの持ち物だったんだよ……」
 バカ、と笑うと白い息が滲んで星が見えない。天に上っていくコーラス。ノエル。ノエル。

M.WAKAGI.
DEADSTOCK
for K.IZUMI&J.SATOMI

※初出 2000年11月 (商業誌未発表作品)

ノイエ・ムジーク

 中指で黒鍵を一度。
 叱るように一音のみ。

 重く意図をもつ音を。
 鳴らす。

「リクエストは?」
「ネコフンジャッタ」
「……どうしてもというなら」
「うお。ていうかキサマ弾けるのか猫踏みマーチが!」
「弾けないと困るんじゃないかな、それは。一応、人前でも弾く身として、その難易度のものなら」
「つーか、そうか、俺もきみのサービス精神は買っているのだが、ちと一瞬びびったぞ、
ニコニコして猫を踏む里見君のピアノつーやつは勘弁だ。おお見よ俺の鳥肌を、ぞわー」
「それは西城の感受性の問題だろう」
「まったく俺は天才で困るなあ里見君よ」
「俺は西城を友人に持って困った経験はないつもりだな」
「ああ里見君、ニコニコ笑って心から神に感謝する曲を弾きたまえよ」
「……困った」
「うっはっはっは! ざまをみろ。ふん」
「神はともかくとして、心ばかりの感謝や希望の念くらいなら、俺にもあるよ」
「あるのは当然。なかったら殴るが。出し惜しむのがイカンつーとるのだ日本語の通じない馬鹿め」
「ああ。わかるよ、よく」

 薬指。高音のBフラットを奏でて、密かに笑う。
 ピアニシモの、透明な。
 午後。

M.WAKAGI.

DEADSTOCK
for J.SATOMI

※初出 2000年3月 (商業誌未発表作品)

hidden flowers

〈act.1 love blue〉

   ――もしも、きみに羽根があったなら

 濁った、僕の錆色の両眼が何をうつすことも今はないから。
 たとえどれほどまばゆく純粋に、きみの翼が光っても。
 もうけっして視えはしないだろう。
 だからどうか、
 熾烈なかがやきに魂をうたれて僕が遠いところへ滑落するまえに僕らが此処にいた痕跡ごと潰してしまうんだよ。

   ――“ああ、ぼくの躰なんかなんべん焼いてもかまわない”

 僕が天使であったことを。
 わすれて、きみは往くんだよ。
 あのころの僕らの、
 美しい誓いの為に。

〈act.2 love red〉

 くれないの花弁にくちびるを触れて。
 案外と乱雑に、かみちぎる貴方のしぐさを見ていた。
 散るものは深紅。
「花言葉を知っているかな」
 かれが言う。
「いいえ」
 嘘をついたように思った。
 知っていた筈だった。
 わすれてしまったんです。僕の背面の無意識が僕の頸をおさえてすべてを止めてしまったのです。記憶も感情も理想的なロジックも。いつか神なるものがつまびいた時間の弦楽に酔わされて、惑わされてしまったのです。なにに、どのように魅せられてどうして岐路の一方を選んだのかも、もうわすれてしまったんです。
 はらはらと貴方、赤の風に舞うならば、うつくしい狂気絵の世界が拡がると夢想する。
 いまとなればそれだけが僕の精一杯なのです。
 嘗て酷薄に、僕のまえで貴方が。
 あるがままに立つことで、教えたのです。
 もとめるならば絶望の泥地にふみいるばかり。
 死よりも甘く。
 闇よりも。
(どうかいらだたないでください)
(僕の為に、薔薇を殺す貴方では在らないでください)
 ここにあるものは、遠く天に玉座を仰ぐ身勝手な信奉者の祈り。
(自堕落な使徒たちの有様にキリストは)
 それならば、いったいだれがなぜ、使徒を堕としたのですか。
 敬虔に信じたであろう者を。
 無邪気な子羊を。
 いばらによって縛め、棘もつ花を植えた。
 神の罪。
「知りません。赤い、薔薇のことは。花の色が黄色なら花言葉も憶えているんですが……。すみません」
「おまえにもわからないことはあるんだな」
「背伸びをやめただけです。俺は本来、贅沢と怠惰を好む性分なので。どんなことでも、ひとに教えるよりも、だれかに教授されるほうが楽だと気づいたので」
「成程。僕から何を知りたい?」
「さあ……」
 もうわすれてしまったんだよ。
 そんなすべてを。
「斎伽さん」
 だから僕は立ち上がる。ひとりきり席を立つ。与えられた器に、満たされていた熱い琥珀の海は、すでに時の経過とともに喪われて、のこっていないから。
 いま、貴方から去る以外に、なすべきことがあるだろうか。
「美味しいお茶を、ありがとうございました」
「紅茶なら、おまえがいれたんだよ。ゴールデン・ルールは承知していると言って」
「俺は、あなたを鑑賞していたので。その御礼です」
 いらだたないでください。
 けっして、僕は貴方をきずつけはしないだろう。
「おやすみなさい」
 貴方は敢然といるだろう。
 いつまでも。
 微塵の瑕もなく、うつくしいだろう。その滅び死ぬ一瞬の最後まで、けがれなく眩しいかがやきだろう。おそろしいほどにそれは純粋な真実だろう。貴方をみることで僕の瞳が焼け爛れ、贋の翼をつなぐ蝋が熔けて、この躰が塩の像と化して、そのように僕が罰されるときにも。
「それで何処へ行く?」
「さあ……。西へでも落ちのびるかと。個人的に、行きたい大学が京都にあるので、迷っているのは事実なんです」
「十九郎。おまえが僕に、厄介をかけたいだけだということはわかっているよ」
 かれが言う。たやすく。
 僕は笑う。
「ありがとう。俺はそういうあなたが好きです」

〈act.3 flowers〉

「俺とおまえの間がこじれる理由なら知っているんだ。だから、もういい」
 十九郎が、そう言った。
「馬ッ鹿じゃねえのか」
 心底から希沙良は吐きだす。
「理由ってのは知って安心するためのもんじゃねんだよ。わかって、その先に何か良くするために使えよ、そういうもんは」
「いやだ」
 シンプルな三文字で十九郎が答えた。
 一瞬、希沙良は、両眼をきつく瞑る。かれの拒絶をやりすごす。
 正直すぎることばに、まだ馴れない。
「俺が改善努力に汲々とする姿を見せつければ、おまえは気分が良いかもしれないけれど、できないことをできると標榜する自分自身を俺は見たくないよ」
「そうじゃないだろ」
 ためいきをつく。
「おまえのせいで俺の気持ちがどうなるかじゃないだろ。おまえの心ん中がもっと……今より、もっと……」
「もっと健全に? 良識をもって、人として正しく? 何のために? よくわからないんだ」
「おまえのために決まってんだろ! おまえがぜんぜん今、幸せそうじゃねえから……」
「それでおまえが迷惑するなら遠くに行けばいい」
「いやだ」
 今度は、希沙良が言い放つ。
「俺だって勝手だからな、おまえと同じくらいには」
「ほら」
 十九郎は静かに指摘する。
「やっぱり、おまえはおまえのために俺を変えようとする。だけど、俺には、おまえに都合良くなることはできないんだ。できない約束をしたくないんだ」
 だから堂々めぐりになってしまうのだと思う。
(うそつき)
(きみの羽根は輝かしいままなのに。もはや僕が二度と誇らしくきみの盾となり護らなくても)
(必要ないと告げているのに)
 なぜ、とりのこされて。
 笑えないと愚図る子供のように。無様な抵抗をくりかえすのかと。
 幾度も自問する。すぐにこたえはでる。そして回答はわかっても解決策はない。
(はじめから、僕らのうちのどちらかが、いなければよかったのにね)
(残念だね。とても、残念だったね。ひとつのものであったなら、よかったね)
 口許で、軽く微笑して。
「ごめん。俺には一つ憶えの芸しかないんだよ。古びて、使えなくなった。――『大好きだよ、希沙良』」

〈act.4 angel bites〉

「あらあら」
 と、水沢諒が呟いた。厭味やからかいに似せる努力が少しばかり足りなかったので、まともな友人同士の普通のセリフに陥りそうな微妙なところだった。そいつは勘弁してくれとお互いに思ったタイミングも等しく、希沙良はわざと必要以上に諒を睨みやり、諒はサーカスの芸人のように両手をひろげて「じゃーん」と小声で効果音をいれてみせた。
「今宵もきみは儚く敗れんか。おお、涙をおふきよマドマゼル」
「るせえッ」
「ねえ、もうわたしらイイ歳なんですから両目から泣くのやめようよ。片目にチラッと光が、っつーくらいなら俺も見ぬフリするのにい」
「っるせえんだよ他人事に出歯亀すんな!」
「他人事、他人事ですわねえ。波風キライです。あらでもどーして俺の手に洗濯済みのタオルが? おやどーして勝手に和泉君の顔面に直撃?」
 パイ投げの要領で、白いタオルを投げつけると、
「それは夜中に泣いてる子がいると鬼婆が来て叱られちゃうからだねっ『泣き虫はいねがー、弱い子はおらねがー』」
「それぁなまはげだろ」
「大差なし」
「あのさ」
「喋る前に蛇口の栓しめなさいよ。君、一人の相手に関して泣きすぎ。蓄積量として見て、そこんとこどうなのかと」
「しまんねえんだよ! こわれてんだよ、俺の意志じゃねえんだよ! 蛇口の好きにさせとけよ」
「君、フツーの顔で喋るのに眼だけ泣いてて怖いんだもん」
「っとけよ。あのさぁ、てめえに頼みあんだけど」
「へい」
 ものを頼む態度かい、とツッコミを挟むのは忘れない。
「てめえ俺の手のこのへん、思っきし噛んでみてくんねえか。どれくらい痛いのか」
「……………………和泉君やるにことかいてそれは凄くやばいゾーンに」
「だってわかんねえだろ自分でだと無意識で加減すっから!!」
「てゆーか誰の手を噛んできたんかいマジで!!」
「だから俺ぁ絶対あいつ殴りたくねえからどーにか我慢して我慢して我慢してそんで……!!」
「我を忘れるまでガマンすんな阿呆、殴っとけ。いきなし噛みつくより数段ましですわ。もービジュアル的にマヌケだもん」
「他人事だろ、そっちには」
「イエース、あきれました。ワタクシお願いされても当事者にはなりたくないデス。イッツ・ソー・クレイジーね」
 本当に、すっかり気が狂っている話だと希沙良自身も思うから、誰かに茶化してもらわないとやりきれないのだ。
 しかし挙句に諒が「あなたが噛んだ小指が」云々と歌いだした瞬間にはさすがに肘うちで黙らせた。
「よく頑張るねえ、君もあちらも」
「んなことも自分じゃわかんねえよ」
「そらそうか」
「泣きてえ」
 ぽつんと吐いた希沙良に、泣いてるじゃないかと諒は言わない。
「したら今度、俺が和泉君に思っきしムカついたときに全力で噛みついたげますよ。そーすりゃわかる」
「泣くほど痛えかな」
「てゆーか普通ためしてみなくてもそう思うのでは?」
「あいつ泣いたかな」
「知らん」
 諒はそっけない。片手のタオルに希沙良は顔を殆ど埋めて、しばらく黙る。
「……でもあいつ俺のこと『大好き』なんだぜ」
「…………そらそうでしょう。ヤな愛情表現だけど」
「最悪だよな、俺ら」
「うん。お気の毒、ご愁傷様」
 舌打ちして希沙良が睨んだ。しらっと諒が視線を宙へ逃がした。仰いだ天のどこかに、零れた噛み傷が残っているように。

〈了〉

※初出 1998年12月  (商業誌未発表作品)

from[the selective sun] (unselected version)

                                         
 自分の足の置き場所。
 左側。
 ハイハットのペダルの角度、いつもどおりで、靴の裏側とジグソーパズルみたいに合う感じがする。
 いつもどおりに組んでるドラムセット、あたしの手足とそれぞれ磁石でくっつくみたいに、あたしの身体のかたちそのまま囲むみたいに。
 ぴったり収まってる。
 あたりまえみたいに。
(――take me home)
 桐哉が歌った、その意味、少し考えた。
 つれてって。
(to the place I belong)
 あたしのいるべきところ。
 あたしたちの。
 帰る場所。
(みんなひとつの場所にしか帰らない)
 同じだと思った。
 あたしの好きな大事な人たちはみんな。
 ――take me to the music.
 ここにしかいたくない。

「あああ僕ぜったいに長生きできない……」
 拝むみたいに両手のなかにマイクつかんで顔と前髪の間、おしつけて、そのまんまマイクによっかかっちゃうみたいな恰好で、藤谷さんがまた言ってる。
「なんかねえ明日あたりにぜったい死んでる気がする。だめだ僕こんな凄い音ばかり考えてたら。あのさあごめんね高岡君、いつかうちのドアあけたとき廊下で俺の腐乱死体みつけてもびっくりしないでください」
「慣れてるから大丈夫よ」
 しらっと尚が答えてた。ほんとに慣れてた。
 左手にギター。光沢のきれいなネック、持って。前歯に、白いピック噛んでた。ピックの表面にTBのロゴが入ってる。
「ああでも泣いてくれるよね」
「その節は?」
「そう君がその第一発見者になった場合は。号泣しなくていいから涙二粒くらいは必須でよろしくおねがいします」
「さだまさしの『関白宣言』?」
「えっ俺そこまで贅沢なこと言ってないよ」
「へえ、そう」
 近くで。
 内緒話みたいに二人で話してる。
                                         

※ 1999年2月 未発表原稿

ネオ・ストーリー

 折れたギター。

「やっぱ弾けねえや」
 無能な笑い方をして俺はそう呟いている。
「ごめん他のやつ呼んで」

 サヨナラ俺のギブソンレスポールカスタム『突撃号II』。
 れーこ社長のうらめしい顔が目にうかんだけど。ゴメンネって頭さげるっかない。
 せっかくの義理つぶしちゃって。いいお仕事だったのに。
「テツさん!!」
 仕切りのディレクターだか先方のマネージャーだかそのへんの誰かが飛んでくるかと思ったら、来たのが加納光ちゃん本人ひとりだった。ので帰りづらくなった。
「すみませんでした哲郎さん! 俺がっ……」
 スタジオの扉出るなりカノンのほうがばさっと金茶に染まった長い髪ふりおろす勢いで身体おりまげて頭さげた。おいおいと俺はなんだか機先を制されて、やはりまだ無能なままで立っている。
「俺が!! 哲郎さんに弾いていただくだけの曲が書けなくて!! 申し訳ありませんでした!!」
 いや。
 そりゃちがうんじゃないの。
「……あのさ」
「はい」
 また、ばさっと髪を動かしてカノンが顔上げて俺を見た。
 グラサンしてない、ステージ用のメイクもなしのカリスマボーカリストは、間近でスッピンでもこっちの気がひけるくらい『お素敵』でカッコイイ。
 まっすぐ来た視線が、もっとお素敵だった。
 自意識・プライドばりばり男。
 曲が悪いなんて謙遜してるときにそんな眼をするですか普通。
「ごめんねえ、俺ちょっとかなり下手にしか弾けなくて」
「哲郎さんは下手じゃないです」
 スタジオの床に放ってきた、ネックから叩き折ったレスポールカスタム。
 あの音、聴かれて、まだそう言われても、やっぱり慰めでしょう。
「俺の考え方が甘かったです。この曲でこのアレンジでまんま哲郎さんに渡したら……俺が無礼でした! すみませんでした!」
「加納くん、きみさ……」
 かかえる楽器がなくなっちゃって手持ち無沙汰で俺は、もじもじとジーンズの腰で両手の指こすりあわせて、のっそり訊いてみる。
「ZEIT好きだったよね」
「はい」
 とたんにずばんと頭の上で何か爆発したみたいにへなへなっとカノンちゃんが殊勝な人になったのが面白かった。
「……好きです。すみません」
「謝んなくていいけど」
「やっぱテツさんにはバレましたよね」
「うん。バレた。京ちゃんの書いた曲かと思ったもん」
 ほんとう言ったら、それはそのままじゃなくて。
 軌道の先にあるもの。
 あのバンドが無事に続いてたらきっと辿りついただろう、そういう場所。そういう音。
 なつかしくてかなしい。
「だからやっぱあれは弾けないわ」
 俺はあらためてへこりと首を前に落として謝る。ゴメンネって。
 カノンちゃんのせいじゃない。俺が俺のままじゃ弾けない。
「秋史さんに、俺、並ぼうと思ったんじゃないです。俺のなかに鳴ってる音……欲しくて……迷わず哲郎さんだと……でも駄目だ、駄目でしたそんなんじゃ……底が浅いんだ俺、くそみっともねえ」
 カノンはカノンでまだ俺の話聞かないで一人でぶつぶつ自己批判にハマっている。あーもー若い人はこれだから。
 かわいいよね。
「加納くんさ、なんでギター、俺ひとり呼んだの?」
 そのとき俺は自分でも、あっ凄く馬鹿なこと訊いたなとわかってた。
 けど。
 分厚く大きなスタジオの扉、背にして立ちつくしたカノンが不意をつかれた子供の真んまるい眼をして俺を。睨んで。
「バッ……」
 馬鹿、と俺は呆れて――怒鳴っている。
「泣くかおまえそこでええっ!?」
「すいません」
 ばたばたっと、ひらいたままの両目からホンモノの涙、落とした顔でカノンは自分の口元おさえてなんでだか一つ覚えに謝る。
「すいません」
「…………」
 俺がおもっきし苛めたみたいじゃないのよ。
「すいません。正直……ほんとに正直なこと言います。テツさんの音があんな淋しかったの聴いたの、俺の一生んなかで初めてです」
 って。
 今日初対面のボーカリストから、しかも現時点で泣いてる男から、急にそんなこと告白されたっておまえ。
 どうしろっていうの。
「まだキョウヘイさんを待ってるんだなあと思いました」
 ぽつんとカノンが言う。
 言ってからまたがばっと頭さげて、
「俺すげえ失礼なこと言ってますけど! やだったら殴ってください。ホント俺むちゃくちゃ言ってますから」
「……いや別に」
 キレイなカオ殴りたくないし。
 俺の手も大事だし。
「……本当のことだし」
 がーん俺としたことが。
 さらっとした答え方はできなかった。
「つまり俺ってばほんとにあいついないと役立たずなギター弾きだったのねというのが……今日、さっきアレ弾いて遂に白日のもとにさらされてしまったので、そんな最低なギター、きみの大事なCDに収めるわけにいかねえやと……。まあ、そういう話だしょ」
 ああ職業ギタリストとしての甲斐性、ぺしゃんこ。
 きっちり一人で立ってられると自分じゃ思いこんでいたけれど。
 ガキだなあ……。
「俺は今日のテツさんの音も好きでした。……けど、テツさんはそこで満足する人じゃないんですね」
「うん。俺、恨み節って、演歌ってキライだからさ。あんたいなくてもあたしは元気よ安心してねって、そっちのが好きだからさ……」
「哲郎さんらしいですね……」
 俺は演歌しかやってねえやって再度カノンが自己批判に走る。いいの! 俺のこの体質は俺のものだからあんたは真似しなくていいの!
「だからさ……迷惑かけてゴメンナサイなんだけど……。俺の音が新しくなったら、それ加納くんがもしも気に入ったら、またレコーディング呼んでよ。俺ヒマだし」
「はい」
 こくりとカノンちゃんがすなおに頷いた。
「俺……俺も多分まだZEITを待ってるがわの人間なんです。でも……俺の音とは関係ないって言える、正真正銘のひとりのボーカリストになれたら、それが哲郎さんと一緒にできるときかなって……。そんなふうに、思います」

       * * *

「とおまえは俺にうるうるのマナコで言ったのと違うかい、素晴らしい歌い手になって哲郎さんのギターで歌いますと!! 文句いわずにとっとと歌え歌わんかいっ!!」
「俺は俺の美学を表現してくれるギターを待ってたはずなんですよ、場末の男芸者みたいなありさまには堕ちたくないから言ってんですよ、絶対あんたがそこで俺の歌入りを妨げるんですよ、インパクト第一じゃなくて詩情っていうものを少しは残してくれなきゃ客には歌詞どころか俺の声も届きゃしませんよ!!」
「ほおおおおカノンちゃんの美声は俺のギターが一発鳴るだけで消えるのね、あーそー」
「ムキになって消しにかかってんのは誰ですか、あんた騒音出してる自覚ないんですか一体!?」
 空約束と空手形ばかりの音楽業界で、どこまでこんな縁、つづくもんだか知らなかったけど。
 これが現在の、SEXION――天下のスーパーギタリストと、美貌のカリスマボーカリストの闘争の場であったりして。
 カノンちゃんは当初の猫かぶってた態度はどこへやらで、ぜっこーちょーに口のへらないやつだし。
 俺のメインギターは、フェルナンデスのストラトモデルに変わって。
 どっちに軍配あがってもいーから早く終わらせてねと、れーこ社長は既に悟りきった態度で。
 そして。
「ならばキミタチ、こういうのはどうかね?」
 にたりと悪巧みのカオでもって、フェンダーストラトキャスターをとりあげるギター屋が一人、俺たちの知らないフレーズを奏ではじめる。

 優しい音を。

〈了〉

※初出 1995年12月 (商業誌未発表作品)